先ず「平凡に生きる」目標設定
平凡に生きる事は難しい
1.「金」
何を基準としてか知らないが、余生を生き抜くためには2000万円要る、と社会は言い出した。
2000万円は大金である。
仮に、これから先、貯えのない夫婦が20年人生を謳歌するとしよう。そうすると240カ月。
一月当たり(2000万円÷240カ月)≒83,300円が要る計算になる。
時給を全国平均、902円とすれば月92.35時間労働。
週休3日(月16日働く)とすれば1日約5.77時間(≒6時間)働かなければならい。(共働きならその半分か?)
しかし、85歳まで元気で働くことなど先ず、できない。(妻は「働け」というが…)
環境や収支のバランス、個々の人生観を考えないまったく無意味な空論である。
「金」は無ければ無くて済む代物である。
見栄や体裁を捨て、与えられた範囲で清貧を旨として生活すれば済むことである。
しかし、無いより有った方が良い。
現実に戻れば、今の制度では年金だけで生きて行くのは厳しい。
それに、これまで通りとはいかないとしても、多少の物欲を満たしていくためには尚更の事。
かと言って継続的な仕事による収入は先ず望めない。
探せばあるかもしれない、が、おそらく人間関係にストレスを感じながら慣れるまでに相当の時間とポンコツになりかけた身体に鞭を打ちながら根強い忍耐力を強いられるにちがいない。それも安い給料で。
そうなると何のための余生かわからない。
中には株の配当金や預貯金等で「金」の心配はご無用、という人も沢山いるだろう。
そういう人は幸せである。
しかし、一般論ではあるが、金が余っている人は大抵庶民性に乏しい。
これといった楽しみや生きがいもなく昨日と同じ今日を、いや、昨日より後退した今日を送っているに違いない。
そういう人は最早「老人」である。
「及ばざるは過ぎたるより勝れり」という言葉がある。
また「衣食足りて礼節を知る」という言葉もある。
これからの人生を「金」のために働くと思えばせっかくの「理想郷」から「俗世」に逆戻り。
アルバイトは余生を愉快に、心豊かな日々を平凡に過ごすための手段。総じて、
「暇つぶしのために働く」、と思えば気も楽になる。
また、「余生は妻に従え」という現実がある。
妻にとっても余生。これからは妻に代わって主夫を演じるのも暇つぶしになるだけでなく、平凡な生活を営む上で大きな礎となるのは確かである。
余生の先輩に試験監督や役所等の短期のアルバイトを目ざとく見つけてくる人がいる。
その先輩曰く「アルバイトは社会との交流の場であり、生きがいを感じる。それに休息時間に若い異性との語らいは実に愉しい」と目じりを下げた。(若い異性といっても、ほぼ同年代らしいが…)
またこういう人もいる。80歳を超えた今も朝4時に起きて自転車で約2時間新聞配達、という日課を20年以上続けている先輩。
元旦の配達は大晦日の午後11時頃から始めるが通常の何倍もある分厚い新聞に加え効率の悪い自転車のため、何度も何度も販売店を往復し、配り終えるのは元旦の午前5時頃だという。
更に驚いたのは、その体力を維持するためにジムに通っている、とサラリと言ってのけた。
このような人は「理想郷」というより「天上界」の住民である。
65年間生きてきた者はどのような生き方をして来たとしても必ずその経験に伴う技術や知識が財産として身について居る。
その財産を生かせるアルバイトなら尚良いし、起業という手もある。
また、これまでと全く違った世界の仕事なら視野も友も広がり新鮮味があってより愉しい人生が送れるだろう。
もし、諸般の事情で働けない場合は、今出来る範囲内の収入で「理想郷」の貧乏な仲間たちと大いに余生を謳歌すればそれでよい。
友と理想さえ失わなければ、むしろ金など無い方が人間らしい心豊な人生を全うできるに違いない。
2.「健康」
余生だから毎日が日曜日である。
趣味のある人はそれに没頭できるだろう。しかし、それが毎日となるとそうもいかない。
やがて不規則な生活に陥る。多分。
だから当面、現役時代と同じ生活スタイルを保ち、これまでの勤務時間(8時間)を余生の時間(趣味や散策、アルバイト、その他)とすることにした。
そう考えると24時間の三分の一だけが変わって三分の二はこれまでと同じ人生である。
機械も川の水も人の心も止まってしまえばやがてサビ付き、淀んで腐り、老いてゆく。
だから身体も心も清流とは言わないが細流(せせらぎ)の如く、サラサラと淀みなく動かし、健康を持続していかなければならない。
コロナ禍の前、気の合った高校の友人10数名が旅館に泊まり、あの頃に返って飲んで騒いで時を忘れた。
そして、翌日の朝食の後、ほぼ全員、コップに水をもらい持病の薬を飲んだ。
ガンを患った者、初めて聞くような病、そして私のように高血圧の者まで様々である。
しかし、朝食後は自らの病を肴に、昨晩とは違う話題で大いに盛り上がった。
そして、一層絆を深めた。
これからの人生は病と共存かもしれない。
でも、それはこれからの青春を超えた理想郷を謳歌する一つのツールと思えば何ら不満はない。
むしろ「歓迎」しよう。
3.「生きがい」
定年後に始めた趣味にハマって輝いている高齢青年が周りにたくさんいる。
例えば定年退職後に初めたマラソンで、めきめきと記録を伸ばし、70歳を過ぎた今でも月間の走行距離だけは実業団並み、という鉄人や各地の山を登って、その標高を「円」に換えて郵便貯金している猛者。家庭菜園が高じ念願の小型耕運機を購入したという73歳の元公務員。ボランティアで被災地の復旧作業に参加している者や演芸倶楽部を立ち上げて各地の老人ホーム等を慰問しているシルバー劇団。
それに若いころ始めた囲碁や剣道の趣味や特技を今に伝えて、より上級の段位を目指している先輩も数多い。
彼らは皆、その生き生きとした眼が雄たけびを上げている。
「これが青春だ!」
「わしら青春!
その眼は若い頃、時間を乱費しながら過ごした青春時代より、より一層輝いているに違いない。
趣味に生きる
そして何といっても同じ趣味を持つ仲間との語らいは愉しい。
趣味の愉しみは集う愉しみといってもよい。
こうやって見ると、いかに自分のライフスタイルに見合った趣味に出会えるか、という事が今後の生き方に大きくかかわってくる様に思える。
下手の横好きで、私はこれまでいろんな趣味を広く浅く経験した。
これから先、いろんなものに挑戦してツボにハマった新しい趣味(金の掛らない)に出会えたらラッキーだと思っている。